洗面器。大抵のおうちのお風呂場にはあるものなのではないでしょうか…?
私の実家にも勿論ありました。今でもあります。
あることが風呂蓋と同じくらい「当たり前」なのかもしれません。
ユニットバスは別だとは思いますが…。
我が家に風呂蓋はありません。
昨年、粗大ごみとして出しています。
家を購入した際に新品が備品としてついていましたが、今までの人生で何度となくカビさせていた蛇腹式の形状で、綺麗に保てる自信がなく、ビジュアル的に好きではなかったことと、普段風呂を保温する必要が殆どない生活なので、アッサリ捨てる事が出来ました。
追い炊き機能がある風呂の「当たり前」な備品を手放す事が出来た訳です。
洗面器は自分で選んで購入した物だから手入れがしやすい形だし、ビジュアル的にも好きな感じなので何の問題もありませんでした。
ただ使っていないだけで…。
そもそも洗面器は必要な物なのか?
あるのが当たり前だと思って、湯おけ、洗面器、椅子の一式を揃えていました。
椅子と手桶は毎日使っています。毎日使っている物なので捨てません。
でも洗面器。貴様は別だ…。
試しに2ヵ月間、風呂場から撤去して保管していましたが、その間私は何の不自由も感じず、夫からのクレームも皆無でした。どうやら洗面器は「我が家には必要ないもの」らしいです。
思えば「洗面器をこういう風に使いたい」という明確なビジョンはなく、持つのが「当たり前」だから買っていたというだけでした。
こういう物って意外と多いと思います。
ジャンルは少し変わりますが、菜箸。あれも今の我が家にはありません。
あるのが「当たり前」だと思って以前は持っていましたが、トング派の私にとっては菜箸は使いにくく必要のないものだったので、手放しました。
実母には菜箸もないの?この家は!と呆れられ、ボロカス言われましたが…。
当たり前を疑おう。
普及率の高い物でも、その物が必ずしも自分にとって「使いやすい物」や「使う物」だとは限らないのだと改めて感じました。
どうしても長年こびりついた~すべきという常識思考が抜け切りませんが、持つのが一般的だったとしても使わない物は買わない。とシンプルに考えていこうと思います。
自分が「こういう風に使おう」「使いたい」と能動的に思える物だけに囲まれて生きていきたいです。