まだ残暑厳しい9月にウール製品。まだ12月並みの気温の3月初めに、ペラッペラのワンピースとトレンチコートetc…
30半ばまでの私は、季節の先取りをやたらに頑張っていました。
かつてのマイ格言「ファッションは我慢」
常に我慢でした。常に季節を1歩先取りを意識。寒かろうと暑かろうと。
靴も我慢していました。痛かろうと「足がキレイに見える靴」を履いていました。
年を取るごとに我慢が辛くなってきて、我慢や身の丈以上を手放した今。凄く楽です。
暑い時は涼しい恰好。寒い時は暖かい恰好。歩きやすい靴。
過ごしやすい衣類や靴を選ぶという当たり前の事が10代半ばからの20年間、抜け落ちていました。
そんな私の最後の砦
以前、靴の数公開の時に「手放せない」と言っていたミュールです。
セルジオロッシ。私の足には合わなかったけど凄く好きでした。
ブーツもパンプスも全部手放したけど、このミュールは好きで手放せませんでしたが、この間、十数年振りに会う友人との食事に履いていったんです。そしたらもう痛くて痛くて、帰りの電車で足を見たら両足の薬指の皮がズル剥け…。
子供といる時はこういう華奢な靴は無理だけど、一人でお出かけする時は気合を入れて履こう!と取っておいたのに、痛すぎて気合なんて湧かないし、帰りは足を引きずって帰ってくる始末。
昔はそれでも足をキレイに見せたいから「我慢して履き続けた」んだと思います。痛くても足を引きずらない様に。思い返せば凄い根性です。
我慢はやめよう。身体に正直に生きよう。
身軽になるために、楽に生きる為に、色々な物や事と向き合っています。好きだという事で判断を先延ばしにしていたこのミュールとも、ようやく向き合えました。
今の私は履いていて痛い靴は、どんなに素敵な靴でも、もう履けない。
加齢と共に無理がきかなくなり、我慢が出来なくなってくるのは当然のこと。身体を労り、他人に不快感を与えない恰好が出来れば、それで充分。
大好きでした。ときめきと女らしさをありがとう。
本日手放した物。
- 大好きだったミュール。