以前書きましたが、うちには炊飯器がありません。
家事を極力まとめてやっています。
拘りのある部分(アレルギー対策の掃除)と、拘りが殆どない部分(炊事)の差が激しいのですが、拘りのない家事に関しては、とにかく手間と時間を節約するため、試行錯誤を繰り返しています。
まとめて数日分の炊飯をしています。
見た目が悪いですが…。浮いているのはゴミではなく雑穀米ですよ…。
凄くズボラな習慣ですが…。
大した消費量を見込めないのに(私は普段お米を食べないので、日々の消費は息子と夫の夕食分の1合ちょい)、毎日炊飯をする事が何だか面倒くさいし勿体無い様な気がして。
そんな訳でカレーや丼ものでご飯の大量消費が見込める日には炊飯していますが、通常メニュー用のご飯は週に1回、6合分をまとめて炊いて冷凍しています。冷凍用パック1つが大体少し多めな一食分(約210g)なので、レンチンしてそのままお茶碗によそっています。
これが時間や手間の節約だけでなく、恐らく光熱費などの節約にも繋がっています。
冷凍したら、お米不味くなる?
決してそんな事はありません。
私が違いが分からない舌なだけかもしれませんが、炊きたての米を直ぐパッキングして、粗熱が取れ次第急速冷凍をしていれば、炊きたてとそれほど味や食感の差を感じません。
保温状態が長いご飯や、冷蔵庫で一時保存した冷やご飯より、余程状態が良い様に感じます。
急なメニューや予定変更にも対応可能。
この仕組みにしてから急な外食やメニュー変更に、柔軟に対応が出来る様になりました。
これを作ろう!と意気込んで予定を立てたり行動をしていた頃は、予定変更がイライラの元でしたが、米と副菜を週1で作り置きをして、日々は主菜と汁物だけを作る生活にしたら、凄く炊事が楽になり、予定変更が苦じゃなくなりました。
手を抜く事は悪じゃない。
私は変に家庭や母というものに理想を持っていて、それに対して非常に潔癖な部分がありました。
家庭をもってからは楽をしようとする自分が許せなくなり、完璧を求め過ぎて、理想に沿わない自分がいれば絶望し、ただただ毎日生活をするだけで疲れきっていました。
確かに色々なことを頑張れていました。でも、生きる意義を見出せない程疲れ切った日々や、子供と接する余裕がなくイライラ過ごす事が本当に多かった。家族にとって良いのはどちらだろう?と自分の態度をふと省みた時にそう思いました。
手を抜く事も、楽に生きる事も多分悪じゃない。使い方の問題なんだろ思います。「全部を完璧に頑張る」という気持ちを手放し、時間も体力も労力も有効に使って、家族に優しく出来る心身の余裕を保っていきたいです。